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【2】
最初はホントのコトなんか話すつもりなかった。
書類上と違う名前を名乗ってる理由なんか適当にでっち上げてごまかせばいいやって…どうせうさん臭い理由でもよっすぃーはそんなこと気にも留めないだろうし。
ただ、肌寒さにふと目を覚ました時、オイラの隣りで小さい子供みたいに丸まって眠ってるよっすぃーの顔が数時間前のオトコマエじゃなく今にも消え入りそうな心細げなオンナノコの顔に見えて…月明かりに浮かび上がった白く薄い皮膚の下に隠されたよっすぃーの本当の姿が透けて見えてしまった気がしたから…。
このコは、もしかしたらオイラと同じ種類の人間なのかもしれない。
自分を愛そうとする人間を一段高いところから見降ろすようにして決して真剣に向きあおうとしないのは、自分が愛そうとした人に同じように扱われて来たからなんじゃないかって…。
つけっぱなしだった冷房を切って、ベッドを降りたついでに冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだしてボトルのまま口を付けて一口飲んだ。
「起きてたんだ…」
急に背後から声をかけられて振り向くと、ベッドの上で身を起こしたよっすぃーの顔が冷蔵庫内の小さな明かりでぼんやりと浮き上がって見えた。
軽く目をこする姿は、もう昼間のオトコマエ、タラシのよっすぃー。
「あのさヤグチさぁ、いわゆるメカケの子ってやつなんだよね」
突然、脈絡もなく話を始めたオイラをよっすぃーは訝しげに見て、少し間を置いて思いだしたという風に目をしばたたかせた。
「ああ…名前の事ですか。いいですよそんなの別に…誰だって話したくない事の一つや二つあるでしょ、それより…」
気を使っているのか、それともそんな事には興味がないのか、よっすぃーは部屋に入ってきた時みたいにちょっとイヤらしく笑ってヤグチを手招きする。
急に何も身に付けてない自分に気付いてあわててペットボトルをベッドサイドのテーブルに置いてよっすぃーの隣、綿毛布とシーツの間に滑り込んだ。
「ウチの父親さ事業やってるんだけど、かなりワンマンでさ会社は絶対に自分の子供に継がせたいって思ってる人なんだよね…でも、奥さんには何年も子供が出来なくてさ、そんでヤグチ父親の家に引き取られたの『市井』はその父親の姓ってワケ」
最初、話には気のない様子でヤグチの頬を指でなぞっていたよっすぃーはオイラが身を寄せると何も言わずに腕を回して肩を抱いてくれた。
「…無理矢理だったんだってさ、ヤグチの実の母親はヤグチを手放したくなかったのに、強引にお金だけ押し付けて赤ん坊引き取ったんだって…どうしても血の繋がった跡継ぎが欲しくて」
時々、ヤグチの肩を撫でるようにしながら黙って話を聞いているよっすぃー。
「でもね、その一年後に諦めてた奥さんにも子供ができたの…腹違いだけどヤグチの妹。そしたらさ父親はその妹に跡を継がせたくなったみたい…まあ当然かもしれないけどね」
妹が居ることは寮の仲間にも言ってない…こんな事情を他人に話す事なんて絶対無いって思ってたのに、話始めると止まらなかった。
「奥さん…市井のお母さんはそれでもヤグチと妹を分け隔てなく育ててくれたから父親が冷たくてもヤグチはあんまり気にしてなかった、親子でもウマが合わない事だってあるじゃんって…市井のお母さんを本当の母親だって信じてたし」
オイラがこんな話をしてもよっすぃーの心に居座ってるだろう氷の塊を溶かせるとは思わないけど…それは、よっすぃーの氷を溶かしたかったんじゃなくオイラ自身がずっと抱えてる氷をなんとかしたくて誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。
「本当のこと知ったのは高校に上がった年。アメリカに留学することになった妹が色々と準備してるウチになんだか様子がおかしくなって…オイラ妹とは仲良しだったから心配になって理由を聞いたけど何も言ってくれなくてさ、いけないと思ったけどあの子の部屋調べたんだ、そしたら留学に必要な書類束の中に戸籍謄本があってさ…」
しゃべり続けて乾いてきた喉に残っていたミネラルウォーターを流し込む。
「市井のお母さんに問い詰めたの…そしたら妹に全部話しからって、ヤグチにも事情を説明してくれた、ショックだったけど市井のお母さんは全然態度変えないで優しくて、だからヤグチもその時は今までどおり何も変わらないって思ってた。でも、妹はずっと自分だけが父親の跡継ぎとして大切にされてることオイラに悪いと思ってて、その上本当の事知ってかなり悩んだ末なんだろうけど、留学先で失踪してそのまま行方不明。さんざん探したけど見つからなくて、そしたら父親は諦めてまたオイラに期待しはじめてね」
妹の話をすると肩を抱くよっすぃーの腕にほんの少し緊張したように力が込められる。
「それまではさ、信じらんないかもしれないけどヤグチ結構優等生だった、誰に期待されるワケじゃないけど勉強も嫌いじゃなかった、たぶんどっかで父親に認めて欲しいって気持ちあったんだよね…。けど自分の都合でコロコロ態度変える父親にマジで腹立っちゃって、誰がアンタの…本当のお母さんも市井のお母さんも苦しめて来たヤツなんかの思い通りになるもんかってさ、父親と顔合わせるのもイヤで市井のお母さんに無理言ってここに入らせてもらって…家を出てからは実の母親の姓の『矢口』って名乗って…」
それまでオイラの肩を抱いて黙っていたよっすぃーが突然腕をはずしてゴロリと寝返りを打った。こっちを向いた白い背中が小さく震えてるように見えたのはオイラの錯覚だったのかな。
少しの沈黙の後ボソっと呟いたよっすぃー。
「子供は親を選べませんからね…でも誰かの代わりだって期待されるだけマシですよ」
その声が力なく淋しげに聞こえたのもヤグチの思い込み?
「それで?そんな話聞かせてウチにどうしてほしいんですか?矢口さんはウチと同じで面倒な事すっ飛ばして楽しめればいいだけだと思ってたけど違うんですか?」
も一度寝返りを打ってこちらを向いた時には元のオトコマエ顔。
ヤグチと同じように胸の奥に溶けない氷を抱えているように見えたのは錯覚だったのかと思わせる薄笑いを浮かべたよっすぃー。
「違わないよ、ヤグチは別によっすぃーと特別な関係になりたいワケじゃない…ただね、この寮にいる娘たち全部がただのお気楽で悩みの無いお嬢様ばっかだと思わない方がいいって、痛い思いしないように忠告しておこうと思ってさ、石川やなっちの事色々吹き込んどいてこんな事言うのも変だとは思うけどさ…見た目超お気楽そうなオイラでさえ、こんなだからさ」
「そりゃ、どうも。まあ、痛い思いならもうしましたけど」
よっすぃーはヤグチの言葉をどう受け止めたのか…ごっつぁんに殴られた左の頬に手を当てて自嘲気味に笑った。
「ヤグチの事はもう口説く必要ないんだからオイラの前ではキャラ作らなくていいし、それにさもし本当に困ったことになったら…ヤグチはよっすぃーの味方になれるよ、ってそれだけ」
真面目に言ったつもりだったけど、よっすぃーはヤグチの言葉が終わらないうちに身を起こして唇を寄せて来た。
「ちょっと矢口さんしゃべりすぎ…」
今夜、二度目のそれは初めてよりも少し乱暴で性急で、確かによっすぃーがヤグチの話に動揺してるのを感じた。
強引で人の言うことなんて聞いていないような振りは、本当の姿を隠すためなんだって確信する。
果てた後、気だるい空気の中ウトウトしはじめたヤグチの髪をいつまでもなでてたよっすぃーの手が本格的に睡魔を連れてくる。
「ワルになり切れない…優しい人なんですね」
痺れたような霞みのかかった意識の中で、よっすぃーの声を聞いた気がしたけど、あれはもう夢の中の出来事だったのかな…。
朝、目を覚ました時にはヤグチの隣にはもう人の温もりはなくて、ひどく乱れたシーツだけが、昨夜確かによっすぃーがそこに居たっていう証拠みたいだった。
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